おさんぽ

 街はでかい壁に囲まれていて、そこから出ることはできない。ただ空を鳥が飛ぶだけである。というと小説の世界みたいだけれど、街にはもう見えない壁が多分建っていて、邪魔な人間もおらず食い意地の張った鳥たちには暮らしやすい季節になったようだ。世に倣って家で引きこもりソングを歌っていたいところだけど、そういうわけにも行かないようで毎日人の少なくなった電車に乗って労働に勤しんでいる。みんなマスクをつけて歩いているので、表情も見えないなと思ってみたがそういえばいつも人の顔なんて見ないくせにマスクのおかげで逆に顔のことを気にかけるなんて逆説的で面白い。道を歩いているとランニングしている人をみかけることが多くなった。家にいがちで運動不足を解消するため、と人は言うだろうが多分いてもいってもいられなくなるからだろう。「散歩」の語源を調べてみると、一説では大昔の中国で流行った「五石散」という漢方(ドラッグ)の中毒症状で、全身が滅茶苦茶熱くなるのを発散させるために歩き回っていたらしい。身体が熱くならないと薬が身体に溜まって毒になるため歩いて身体を熱くしたみたいな話も書いてあったが、共通するのは身体の熱やら毒的なものを散らすために歩き回ったということだ。今でこそ散策とか気晴らしみたいな意味もふくまれている「散歩」だけど、一説には過ぎないが元々はドラッグにやられてそのへんをうろちょろ歩いていたのが元である。だからなんだというわけではないが、この身体に溜まった熱とかが、このままたまり続けると死んでしまうんじゃないか、みたいな感覚は俺にもわかるような気はするし、もう趣味とか娯楽とかそういう楽しみを求めてではなく、ただ、どうしようもなく、痛みに耐えかねて歩くみたいな五石散中毒者のような散歩をしてしまっても、それはもう仕方のないことである。だって歩かないと何か死んでしまうから。毒に似た、熱に似たものによって。