著名人に政治色を出してほしくない人の気持ちについて新しく一つ、よりしっくり来る仮説が浮かんだ。彼らは自分の中で持っている対象者のイメージが崩れることを嫌っているだけなのではないか。こういうキャラクターの押し付けは政治の話題に特有というわけではなく、いろんなシーンで見られる、老若男女に普遍の振る舞いであるように思う。しかもあらゆる関係性の中で行われる上に、対象は人に限らずモノとかコトになる場合も珍しくない。これをヒト一般のありふれた振る舞いと捉えるのは決して行き過ぎた解釈ではないだろう。これを指摘する文章を書いている今現在まさに私が行っていることも根本は同じで、これの根本にあるのは「私は正しい」という感覚に他ならない。
この感覚自体や正しさについては保留するとしても、(特に特定の目的下で)他人に正しさを示すことについてはシンプルな判断基準で最適な結果が得られる雰囲気がある。しらんけど。そもそも特定の他人に向けて自分の正しさを示すことが有利に働く場面は少なく、意外と意味がないか不利に働く場面が多いと思うので、①目的を明確にすることと、②その目的を達成する上で正しさを示すことが有利に働くのかを考えるだけで良い。ネットでひっそりと漫画家があーだこーだとぶーを垂れるだけだったら別に好きにすればいいのだろう。身の回りの人間にやるよりマシだろうし、適当に気持ちよさを得てガス抜きできるから丁度いいのかもしれない。

結局の所身も蓋もないことしか言えないので、もっと根本的な部分、自分の正しさを過信してしまうことと正しさを誇示してしまうことについて保留せずにあーでもないこーでもないと考えていた方が余程建設的なのかもしれない。

最後に愚痴るが、個人の日記レベルでさえ作文をするときに断言することが求められる風潮はクソ。どうでもいいだろそんなこと。