ハム蔵の冒険

 うわ~人生はこの回し車のように目まぐるしくかつ無意味なものである。ただ回っていると少し楽しいかもしれない。そんなことでも考えてるのかハム蔵は回し車を回し回し続けている。ハム蔵が家にやってきてケージに入ってからしばらくはキョロキョロと自分の家となる箱を見回し、壁に沿って外周を確かめる。ケージのすべてを回るのに、一日もかからなかったらしく(小さい生き物の時間は短く、そしてめちゃくちゃ早いのだ)、飽きてからは抜け道を探し始める。半透明のケージの外には俺のようなでかい生き物がノシノシ歩いているように、でっかいでっかい世界が広がっているのだ。俺の世界がこんなに狭い訳はない、とハム蔵は潜る掻く、流体みたいな身体を極限まで細くする。もう水だ、と本人が思っているかはわからんがミミズぐらいには細くなる。しかしケージの外にはけして出られんことを悟る(もちろん俺がそうしたせいだ)と俺が君が回してくれますように、と祈りをこめて設置しておいった回し車を回し始めたというわけだ。俺は祈りが届いたので、これ以上なく喜んだ。わけだが、ハム蔵は俺にはもうこれしかないんだよと言わんばかりに回し車を回し続けた。そして、俺の眠りの時間のその後も続いた。深夜になってもカラカラカラカラ回し続けるので、俺は自分の祈りを呪いに変えて、逆十字を掲げる。しかしハム蔵も暇なんだろうな、と申し訳なく思う気持ちもあってイヤホンをつけて眠った。ある日、ハム蔵に足りないのは友達だろう、誰だってそうだよなとハムスターも一匹迎え入れることにした。ハムスターのハム太郎。かわいいハム太郎を、しかしハム蔵は一週間も立たないうちに食べてしまったのだった。その後でハムスターは一緒のケージに入れるとは輪針争いを起こして共食いをするという話を聞いたのだったが、かわいいハム太郎が血塗れた骨や肉や皮に変わった姿を見て、ハム蔵を攻める気持ちにもなれず、外に埋めた後、少し泣いたのだった。そしてハム蔵はメスだった。
 ネオ四国がでかい壁とともに崩壊してから新しく建ったネオネオ四国は、讃岐山脈よりも高い壁が一部なくなったと言っても、それでも日当たりの悪さは相変わらずで、なかなか外に出たがる人もおらず、喜んでいるのはごく一部の人たちだけであった。突如四国をぐるりと囲むように現れた大きな壁のことを人はウォール・マリアと呼んでいたけれど、壁の原因はわかりやすく外との不仲だった。香川は岡山と、徳島は兵庫と、愛媛は広島と、高知はどこか南の島と。そうしてできたネオ四国はうまくいくわけないだろ、とだれもが思っていたけれど、意外と島地方根性とやらで生活インフラをすべて整え、食糧自給もネオ四国内で100%近く、ネットも飛行機も違うレイヤーで働く機構からはすべて解き放たれた。海の向こうと仲良くできない地方が結束したところで隣県と仲良くできない気もするものだが、それでも人は仲よくし、仲良くしたのはでかい壁だった。でかい壁があると人はその内側で過ごすことに慣れ、ブロックが重なり合うように、人の心もでかい壁みたいになった。娯楽の少なさがネオ四国での一つの問題だったので、ネオ四国政府は全世帯にペットを配ることになった。犬やウサギはでかすぎるだろうという計らいで、動物はハムスターに決定した。こうしてハム蔵が我が家に来た。
 ハム蔵がハム太郎を食べてしまってから(メスでもハム蔵はハム蔵だ、いいだろ)、ハム蔵が今までカラカラカラカラと回していたあの悩みのタネであった回し車の遊び方が変わった。しばらくはカラカラといつもどおりバカみたいに回しているのに、回し車を回しているのに、勢いがついてきたらいきなり足を止める。そうすると遠心力によって、身体は回し車とともにグルグルと回し続ける。ハム蔵は回し車と一体化し、そのまま回り続ける。回し車を回す者はハム蔵だったが、そのハム蔵は回し車となり、その回し車もハム蔵でお互いがお互いを回し続ける。しばらくすると勢いがなくなり止まる。そうするとハム蔵と回し車は分離し、再び回し車を回し始める。一体化、分離を恋人みたいに繰り返し、しばらくすると急に倒れるように眠りつく。回り続けて三半規管がバグり、脳がシェイクグルグルミキサー状態でグロッキーになったんだろうか。俺だってそういう遊具で遊んだことはあるからよく知ってるけれど、自分のあずかり知らぬ力によって(もとは自分で回したものだけど)、流されてグルグルしているのは気持ちいいものだ。脳が、なんか、なんにも考えられなくなってぼうとする。気持ちよさと気持ち悪さが一体化して、分離してハム蔵と回し車と同じようなことが起きて、そうして急に眠たくなる。ようするにハム蔵は回転させられることにキマったのだ。妙な遊びを覚えたなと思ったけど、これはハム蔵が同時の研究と経験で獲得したのではないようだった。なぜならハム蔵よりこれを先にしていたハムスターを知っているから。かわいいハム太郎。ハム蔵に食べられちゃったハム太郎ハム太郎はちゃんとオスだった。これも死んで埋めるときに初めて気がついた。
 ウォール・マリアによって人々は結束し、ハムスターを飼い始めたあたりから綻びというか、目に見えてわかる糸のようなモノが見え始める。一つは「壁」。あんなにみんなを一つにした壁だったけど、やっぱり外の世界に出たい人もいるらしく、いたみたいで、現れた?壁を登ろうとするウォールクライマー達の登場が一つ。もうひとつは壁が急に現れたように、大歩危あたりにひっそりと空いたでかい「穴」覗いても覗いても深い深い穴が空いてから、娯楽に飢えている人々はその穴を覗きにこぞって大歩危に向かっていった。直径数100メートルもあるだろう大きな穴は、親しみを込めて「おで穴」と呼ばれた。最初こそ物珍しさにいって、どうせそれもすぐ飽きるだろう(だってただのでかい穴だ)と思っていたけれど、それがどうしてか穴を見に行った人たちが全然帰ってこない。近所に住む小村(おもれ)一家や、親戚の中間(なかつま)のオッサンたちも子連れで日曜日に遊園地にでもいくみたいにオンボロの軽に乗っていったきり、近所の家に人が戻ることはなかった。みんな、穴に落ちたんだと思った。電話で確かめることもできないから行方はわからないなと思っていたけど、ある日小村一家から手紙が届いた。そういえば年賀状というものだったのだろう。手紙によるとみんな大歩危で元気でやっていること、でもそっちにはもどるきはないこと、穴の近くには人が増えて大歩危小歩危あたりはそれなりに大きな街ができていること、なぜ帰る気がないのかについてはどうしてかは誰もわからないこと。わからないのは俺だけじゃないようだった。穴のことが少しきになったけど、ハム蔵をおいていくわけには行かなかったから相変わらず家で過ごした。穴へ行った人々の家に残されたハムスターのことも想った。
 一方、壁を登り始めた人々のことを政府は止めることはしなかった。なぜなら壁が勝手に、それを止めるから。ウォール・マリアは多分山よりもでかいから、それは山を登るよりも辛いことになる。それに山は坂で登れるけれど、壁は垂直に、雲みたいに、登るしかない。もしくは身体を水みたいにして……。政府が面白がって壁に登る人々を映しだし、それは毎日のようにビジョンに流れる。娯楽が少ない人は生活しながらたまにあれどうなったの、と思い出すようにビジョンに映るクライマーたちの様子を見て、たまに落ちて死ぬものがいた。落ち際というのもしっかりビジョンは映してくれるので、高い高い壁から真っ逆さまに落ちていき、地面に激突して、ほとんどバラバラになる。血濡れた骨。肉。皮。かわいいハム太郎。血はウォール・マリアをも濡らし、彼らはそうして壁と一体化した。
悪い遊びを覚えてからハム蔵はもう回っては倒れ、回っては倒れる。回っては倒れる。それくらいしかしなかった。大好きだったひまわりの種はもう大好きじゃなくなったのかもしれない。もうハム蔵は、もしかしたら長くはないのかもしれないと思った。思った後、どうするかと思った。ハム蔵は回し車を回して、たまにひまわりの種を食べて、脱出を試みではやめて、深夜に俺の耳を塞ぐ。ハムスターらしかったあのふくふくした饅頭みたいな身体もなんだか痩せてきた。痩せたほうが流体感がなくなるというのは、初めて知った。痩せたのは皮肉にもかわいいハム太郎を食べてからということになる。悪い遊びを知ってしまったから。でもそれは本当に悪い遊びなのだろうか。ハム蔵が我が家に来て、家の狭さに絶望して、外を夢見て、身体を水みたいにして、饅頭みたいな身体をギュウギュウ絞って、量子の気まぐれに頼るみたいに、回し車に祈ったみたいに。結局、ネオ四国とかいう馬鹿げた箱庭も、俺が作ったハム蔵のケージも同じだった。壁があるとか、出られないとか、出ようとしているところが面白いとか(現に、水みたいにしているハム蔵は確かに面白かった)、なんかそういうところではない。悪い遊び、俺も悪い遊びを知っている。知っているから、俺は食べられたハム太郎のことがかわいくてかわいくて仕方なかった。ハム蔵に食べられた、変な回し車の遊び方をするハムスターのことが。人々はウォール・マリア、でかい壁、人々をまとめたが殺しもしたでかい壁、そしてでかい穴、おで穴と呼んでいる人々を惹きつけ家に帰さないかわいいかわいいでかい穴、そのどちらかにご執心だった。そして俺はハム蔵をポッケに入れて外へ走った。
 結局、ネオ四国が最終的に滅びたのは壁を登る蜘蛛たちでも、穴に人々が吸い込まれたからでもなかった。どちらもそんなことで人は変わらないし、人が変わったとしても社会は変わらなかった。ウォール・マリアはサンポートタワーが巨大な爆弾となってウォール・マリアの一部を連れて爆発し、帝国は終わりを迎えた。人々はいっとき熱狂を帯びていたが、ネオネオ四国になったところで人々の生活もきっと変わらないだろう、と予感めいたものを感じていた。ハム蔵はまた以前の活発さを取り戻し、また回し車を自分の足で回すようになった。ハム蔵が回し車を回しているとき、俺もまた回し車で走ることにした。ネオ四国時代の運動不足は嘘のように俺の体調も改善され、体格もがっしりとしたみたいだ。ネオ四国は暗黒の時代として後世に語り継がれるだろうが、一部の人にとって、そして俺にとっても「まぁ悪くないんじゃないか」と思えるところもたくさんある。ハム蔵と出会ったこと、こうして一緒に生きていることもその一つだ。運動した後、水みたいになる柔軟を終え、回し疲れてぐっすり寝ているハム蔵の元へ寄り、少し大きくなったケージを開ける。一匹のハムスターを落とす。かわいいハム次郎くん。どうか、ハム太郎そしてハム蔵が俺のことを許しませんように。